Sunday, September 22, 2013

Canta! Timor

表題の言葉の意味は、「歌え!ティモール」。
ある日本人女性が東ティモールを題材に製作した、音楽ドキュメンタリー映画のタイトルだ。

東ティモールは、東南アジアにある島国の一つ。ポルトガルの植民地となった後、インドネシアに占領された。その後、30年近くにおよぶ独立運動の末、1999年にインドネシアの占領から開放、2002年に独立を果たした。東ティモールの独立運動では、3人に1人が死んだと言われる程多くの人が殺され、9割の民家や建物が破壊された。この映画では、独立して5年程度しか経っていない同国の様子が描かれているが、しかし焦点をあてているのはそうした独立運動の凄惨さではない。家族全員を目の前で殺され、自分自身の体や心にも大きな傷を与えた相手に報復することなく、同じ人間として認め、許す東ティモールの人々の強さ、優しさ、信仰心の厚さである。

彼らは、自然には様々な神様が宿ると信じている。彼らを敬い、怖れを抱きながら、共に暮らしている。これは、日本人にも理解しやすい感覚だと思う。こうした自然や大地への深い愛が、インドネシア軍からのどんな仕打ちにも屈せず、独立を目指した強い意志の源だったという気がする。独立を祝う集会で、独立運動を率い、その後初代大統領となったシャナナが
「大地を踏みしめて踊れ」
と呼びかけたことでも、東ティモールの人達が自どれだけ自分たちの土地を渇望していたかがわかるだろう。そしてこの信仰のもう一つの特徴は、「人類みな兄弟」という思想だ。ある現地の人が映画のなかで、
「自然を敬え、そうしたら人はつながる」
と言っていた。彼らは何世帯もの家族と同居していて、母親の姉や妹も母と呼ぶ。さらには、インドネシア軍の人たちですらも、彼らは自分たちの兄弟であるとみている。
独立運動に参加していたある青年は、
「ねぇ仲間たち ねぇ大人たち 僕らの過ちを大地は知っているよ」
という一節を、自作の歌に載せている。ここでいう「僕ら」は、インドネシア軍のことだが、それに「自分たち」も含めて表現する。
もともと、彼らの言葉には「あなた」と呼ぶとき、「私たち」という意味の「イタ」という言葉を使う。自分と相手との垣根が驚くほど低いといか、ない。
事実、独立軍はインドネシア軍を捕らえたとき、自分たちがどれだけ平和を望んでいるかということを説得し、その後無傷で彼らを帰している。

こうした彼らの懐の深さと、どんな時でも自分の信じる考え方を曲げない信念の強さをみるだけでも、十分にこの映画を観る価値がある。
これに加え、私にとっては、ジャーナリストを目指すなかでとても考えさせられる内容も多々あった。

東ティモールの独立運動がこんなにも長期化、残酷化したのは、実は日本が深く関わっている。ティモール島では油田があるため、利権を狙う日本がインドネシアを援助したのだ。このため、欧州などがインドネシアを批判し、経済制裁を加えても、日本がその補填をしたため、紛争が長期化する要因となったのだ。しかし、こうした東ティモールの実情は、日本ではまったくといっていいほど報道されなかった。私のように、東ティモールという国の存在自体、知ら
ない人も多いのではないだろうか。こうした、私たちが知るべき事実を明らかにしてこなかったマスコミに対して、報道とは一体なんであるかについて、考えるとともに、原油などエネルギー関連の取材記者として、日本がかつてインドネシア産原油の主要な輸出先であったこに何の疑問や関心を抱いてこなかったことについて、自分のプロ意識の低さや視野の狭さを猛省した。そして、石油をめぐる大国の思惑に翻弄される人々の存在は、わかってはいたが、日々の仕事のなかでなんとなく考えるのを避けていた部分であったため、やはりちゃんとそうした事実に向き合わなければダメだという風に感じた。

そして、報道の使命、意義や意味も、この映画では提示しているように思える。
あるジャーナリストが、サンタクルスの虐殺について語っていた。そのなかで、彼は、多くのマスコミは国が用意した情報しか流さない、という。一方、その閉じられたドアをこじ開けるのが、ジャーナリストなのだとも。また、大虐殺で東ティモールの人々は、勝利(独立)のために喜んで犠牲になったとも述べた。なぜなら、これでようやく自分たちが「テレビに映れる」からだ。世界の人々に自分たちのことを知ってもらうため、テレビに映るために、人々は命を犠牲にしたのだ、と。
この話を聞くと、力や権力のない人々が、大きなものに対抗するためには、報道という方法がどれだけ大切で、重要視しているかわかる。これしか方法がないのだ。自分がこれからどんなことを報道し、世の中に伝えていきたいのか、深く考えさせられた。

最後に、この独立運動で、彼らが唱え続けた合言葉を紹介する。監督さんが口頭で言っていたので、正確かどうかはわからないが、それは
「ネイネ マイメ ベイベ」
”ゆっくり少ずつ、だけどずっと”という意味だそうだ。独立運動をするうえで、”優しく”を重視する人々が、今までいただろうか。自分たちの土地を大切にする気持ちと、相手を敬い、大切にする気持ちを同時に持っている占領地の人々が、これまでいただろうか。そして、口にするだけではなく、実際にそうして、独立後の人生を穏やかに暮らしている人々は、果たして彼らの国以外で、どれだけいるのだろう。
これから、自分の人生のなかでどんなことが起こっても、憎しみなど負の感情を持った時、私は彼らを思い出し、自分を恥じるだろう。そうして、自分の生き様でもって私を支えてくれる彼らに、いつまでも尊敬し、感謝するだろう。










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