Sunday, September 22, 2013

Canta! Timor

表題の言葉の意味は、「歌え!ティモール」。
ある日本人女性が東ティモールを題材に製作した、音楽ドキュメンタリー映画のタイトルだ。

東ティモールは、東南アジアにある島国の一つ。ポルトガルの植民地となった後、インドネシアに占領された。その後、30年近くにおよぶ独立運動の末、1999年にインドネシアの占領から開放、2002年に独立を果たした。東ティモールの独立運動では、3人に1人が死んだと言われる程多くの人が殺され、9割の民家や建物が破壊された。この映画では、独立して5年程度しか経っていない同国の様子が描かれているが、しかし焦点をあてているのはそうした独立運動の凄惨さではない。家族全員を目の前で殺され、自分自身の体や心にも大きな傷を与えた相手に報復することなく、同じ人間として認め、許す東ティモールの人々の強さ、優しさ、信仰心の厚さである。

彼らは、自然には様々な神様が宿ると信じている。彼らを敬い、怖れを抱きながら、共に暮らしている。これは、日本人にも理解しやすい感覚だと思う。こうした自然や大地への深い愛が、インドネシア軍からのどんな仕打ちにも屈せず、独立を目指した強い意志の源だったという気がする。独立を祝う集会で、独立運動を率い、その後初代大統領となったシャナナが
「大地を踏みしめて踊れ」
と呼びかけたことでも、東ティモールの人達が自どれだけ自分たちの土地を渇望していたかがわかるだろう。そしてこの信仰のもう一つの特徴は、「人類みな兄弟」という思想だ。ある現地の人が映画のなかで、
「自然を敬え、そうしたら人はつながる」
と言っていた。彼らは何世帯もの家族と同居していて、母親の姉や妹も母と呼ぶ。さらには、インドネシア軍の人たちですらも、彼らは自分たちの兄弟であるとみている。
独立運動に参加していたある青年は、
「ねぇ仲間たち ねぇ大人たち 僕らの過ちを大地は知っているよ」
という一節を、自作の歌に載せている。ここでいう「僕ら」は、インドネシア軍のことだが、それに「自分たち」も含めて表現する。
もともと、彼らの言葉には「あなた」と呼ぶとき、「私たち」という意味の「イタ」という言葉を使う。自分と相手との垣根が驚くほど低いといか、ない。
事実、独立軍はインドネシア軍を捕らえたとき、自分たちがどれだけ平和を望んでいるかということを説得し、その後無傷で彼らを帰している。

こうした彼らの懐の深さと、どんな時でも自分の信じる考え方を曲げない信念の強さをみるだけでも、十分にこの映画を観る価値がある。
これに加え、私にとっては、ジャーナリストを目指すなかでとても考えさせられる内容も多々あった。

東ティモールの独立運動がこんなにも長期化、残酷化したのは、実は日本が深く関わっている。ティモール島では油田があるため、利権を狙う日本がインドネシアを援助したのだ。このため、欧州などがインドネシアを批判し、経済制裁を加えても、日本がその補填をしたため、紛争が長期化する要因となったのだ。しかし、こうした東ティモールの実情は、日本ではまったくといっていいほど報道されなかった。私のように、東ティモールという国の存在自体、知ら
ない人も多いのではないだろうか。こうした、私たちが知るべき事実を明らかにしてこなかったマスコミに対して、報道とは一体なんであるかについて、考えるとともに、原油などエネルギー関連の取材記者として、日本がかつてインドネシア産原油の主要な輸出先であったこに何の疑問や関心を抱いてこなかったことについて、自分のプロ意識の低さや視野の狭さを猛省した。そして、石油をめぐる大国の思惑に翻弄される人々の存在は、わかってはいたが、日々の仕事のなかでなんとなく考えるのを避けていた部分であったため、やはりちゃんとそうした事実に向き合わなければダメだという風に感じた。

そして、報道の使命、意義や意味も、この映画では提示しているように思える。
あるジャーナリストが、サンタクルスの虐殺について語っていた。そのなかで、彼は、多くのマスコミは国が用意した情報しか流さない、という。一方、その閉じられたドアをこじ開けるのが、ジャーナリストなのだとも。また、大虐殺で東ティモールの人々は、勝利(独立)のために喜んで犠牲になったとも述べた。なぜなら、これでようやく自分たちが「テレビに映れる」からだ。世界の人々に自分たちのことを知ってもらうため、テレビに映るために、人々は命を犠牲にしたのだ、と。
この話を聞くと、力や権力のない人々が、大きなものに対抗するためには、報道という方法がどれだけ大切で、重要視しているかわかる。これしか方法がないのだ。自分がこれからどんなことを報道し、世の中に伝えていきたいのか、深く考えさせられた。

最後に、この独立運動で、彼らが唱え続けた合言葉を紹介する。監督さんが口頭で言っていたので、正確かどうかはわからないが、それは
「ネイネ マイメ ベイベ」
”ゆっくり少ずつ、だけどずっと”という意味だそうだ。独立運動をするうえで、”優しく”を重視する人々が、今までいただろうか。自分たちの土地を大切にする気持ちと、相手を敬い、大切にする気持ちを同時に持っている占領地の人々が、これまでいただろうか。そして、口にするだけではなく、実際にそうして、独立後の人生を穏やかに暮らしている人々は、果たして彼らの国以外で、どれだけいるのだろう。
これから、自分の人生のなかでどんなことが起こっても、憎しみなど負の感情を持った時、私は彼らを思い出し、自分を恥じるだろう。そうして、自分の生き様でもって私を支えてくれる彼らに、いつまでも尊敬し、感謝するだろう。










Friday, February 3, 2012

虫眼とアニ眼 -1-

虫眼とアニ眼
養老猛司・宮崎駿




どんな小さな虫も見つけてしまえる「虫眼」を持つ養老猛司と、世界的に優れた「アニ眼」を持つ宮崎駿の、2人のミスターチルドレンが現代の日本社会やこども達について、自由に対談する。そして会話が進むうちに、現代の隠れた問題が次々と浮き彫りになっていく。
最初に対談したのが、「もののけ姫」が社会現象化した1997年。東京大学名誉教授の養老猛司は、以前から宮崎アニメ「となりのトトロ」に出てくるメイちゃんのトトロを発見した時の顔を引き伸ばして、教授室に貼り出しているという。


養老 「ちっちゃい女の子がジーッと座って見つめている、あの目つきが実によくて、解剖をやる人はこういう目つきでなきゃダメなんだよっていう意味で。だいたいああいう目をした学生がいなくなっちゃったんです。あんなふうにモノを見られなくなっちゃった。」
宮崎 「たとえばナマコとかウニとか、得体の知れないモノに出会ったとき、気持ち悪いって逃げ出すヤツがいるでしょう。でもなかには、その気味悪いのをジーッと見てるのがいるんですよ。そういうのがいいですね。」

宮崎 「周りの人間たちを見ると、決してそう意識してるわけではないけれど、やっぱりみんな人間嫌いになっているんですね。正しくは、人類嫌いと言ったほうがいいかもしれませんが。顔見知りの人間は好きなんです。けれど、人類とか外国人と言ったとたんに「いなきゃいいのに」という感じになる。こんなにみんなが人間嫌いになってる時代はないんじゃないか。一方では、人間の命はとても尊いなんて言ってる時代で、建前と本音というのはヘンな言い方ですが、もっと底のほうに、いわゆる「うざったい気持ち」が、通奏低音のように流れている。子どもたちからして、そうじゃないかと思ったもんですから。」   
「親から、「うちの子どもはトトロが大好きで、もう一〇〇回くらい見てます」なんて手紙がくると、そのたびにこれはヤバイなあと、心底思うんですね。誕生日に一回見せればいいのにって。結局、子どもたちのことについて、何も考えてない。だって結果として、養老さんが言うところの脳化社会にぴったり適応するような脳みそ人間だけを育てようとしてるでしょう。トトロの映画を一回見ただけだったら、ドングリ拾いに行きたくなるけど、ずっと見続けたらドングリ拾いに行かないですよ。なんで、そこがわからないんだろうと思うんだけど。いっそビデオの箱に書きたいですね。「見るのは年に一回にして下さい」って(笑)」



 二人の言う子どもたちは、一体いつの頃からのことを指すのだろうか。私はそこに入っていないことを願いたいが、言われてみれば 私も長い間モノを興味深くじっと見ることをしなくなっている。世界の人口が80億だが70億だかを突破したニュースを見ても、「また増えるのか。もういいよ。」と思ってしまう。そして小さい頃、トトロのレーザーディスクを何回も見続けていた。やばい。思いっきり当てはまっている。
 確かに、人間好奇心を持つということは成長に不可欠な要素だ。最近やっと私も、メイちゃんのような目をふたたび持ち始めた所だ。以前は虫を見ると反射的に逃げていたが、今は窓に巣をつくったクモの身体を細かく観察し、虫がワナにかかってそれを食べる瞬間を見てみたいと思うようになった。変な人になっただけなのかもしれないが、以前よりそういった自然や動物のありのままを見たい、知りたいという気持ちは強くなった。
人間嫌いというのも、何の考えもなしに自然や動物に害を加える人間が嫌というだけで、人間がたくさんいようがいまいが、私はどうでもいいと思っている。少なくなれと願ったところで、何の効果もないことは知っているからだ。ペットをアクセサリー代わりにしか思ってないような女や、自然災害をどうにかこうにかできると思っている自信過剰な男などにあきれ返っているだけである。ちゃんと自然や動物の生態系を壊さず、共存していこうという謙虚な気持ちをもった人間なら、何人いても構わない。
 トトロを年一回だけ、というのは子どもにとってとても酷な決まりだ。子どもというのは好きなものは何回でも繰り返したいものだし、何回も見ることによってその世界観がインプットされていくのだと思う。現に私は、トトロのあの自然や田舎の人々の暖かさをインプットしたからこそ、外で遊ぶときはイマジネーションが刺激されていたし、トトロの世界とは逆方向に行く日本に疑問を感じられている。むしろ私は、トトロをもっと考えながら見て欲しい。きっと子どもたちはトトロを見た後山に行きたいし、ドングリ拾いに行きたいのだ。けれど周りにそういう場所がない。親が連れて行ってくれない。これじゃあまたトトロを観て欲求を解消するしかないじゃない。きっと、トトロのような森や家をつくってあげると、子ども達は喜んで遊ぶはず。やっぱり、現代の子どもが好奇心いっぱいの目をしなくなったり、人間嫌いになったり、脳化しているのは、大人のせいなのではないだろうか。



Sunday, January 15, 2012

この世は一つの劇場にすぎぬ。人間のなすところは一場の演劇なり。

-ある日、私は考えた。
 人生というのは、いつ始まるのだろうか?それは決して生まれるときではないだろう。それでは、はじめて恋をしたときか?書物を通して、また人間関係を通して自我にめざめた時か?
 あるいは、自分のなかに棲んでいる「もう一人の自分」との友情が成り立ったときか?
 人生劇場という歌では、
 やると決めたらどこまでやるさ
 それが男の魂じゃないか
と言っている。だが人生はしばしば、男の魂よりももっとはるかなところで汽笛をならしていたりすることもあるように思われるのは、何故だろうか?-


 「自分は人間なのだという自覚が芽生えた時」、それこそが人生の始まりではないかと私は思う。人は赤ちゃんの頃は、誰でも動物に近い思考や行動をする。小学校低学年くらいでもまだ野生的に、動物的に生きている。それが徐々に人間(大人)を知り、社会というものを知っていく。他の動物とは生き方が違うぞ、と。人間は感情的、本能的に生きてはいないぞ、と。
 そして、思春期になると自分も彼らと同じように生きて行かねばならない存在なのだと多くが悟る。たいていは、無意識に。しかし、そこには葛藤がある。それが、反抗や非行という形で行動に表れてくるのだろう。尾崎豊の「十五の夜」。この詩をみると、そんな気がさらにしてくる。

-しゃがんでかたまり 背を向けながら
 心のひとつも解りあえない大人達をにらむ-


-とにかくもう学校や家には帰りたくない
 自分の存在が何なのかさえ 解らず震えている-


-大人達は心を捨てろ捨てろと言うが 俺はいやなのさ
 退屈な授業が俺達の全てならば
 なんてちっぽけで なんて意味のない なんて無力な 十五の夜-


-誰にも縛られたくないと 逃げ込んだこの夜に
 自由になれた気がした 十五の夜-

 人生の始まりは、人が動物として生きるのをやめ、人として生きなければいけない時だ。それが正しいのか間違っているのかもわからない。けれどそうしなければいけないと、無理矢理にでも納得させられる。そんな葛藤や不安、不満こそが思春期に皆が感じる感情なのではないだろうか。   

 なぜ人間にだけ、「人生」があるのだろう。人間だけが、「人生」に意味を求めている。いや、意味があってほしいと願っている。「人生」なんてものがあるから、人は人として生きていこうとしてしまうのだ。それが、自分たちを縛り付けて、生き辛くしているにも関わらず。 
「しかし、人が人生に意味や意義など見出さず、動物のように本能的に生きれば、社会は成り立たなくなる。」
 その通りだ。それでいいではないか。そもそも、他の動物から見て、地球全体から見て、宇宙全体から見て、人がつくる社会は必要か?むしろ邪魔だろう。人間も他の動物同様、本能的に生きた方が生態系は正常になるのではないか。他の動物たちは本能的に生きて、それで生態系が維持できているのだから、狂わせているのは人間が理性的に生きて勝手に社会をつくってしまっているからだ。

 そうは言っても、人間が本能的に、野生的に生きるのはもう不可能に近い。人生に意味を見出す快楽を知ってしまっているから。結局はその快楽を求めるという、本能的な生き方を人間もしているのだ。








Thursday, January 12, 2012

七十五セントのブルース

-どっかへ走って ゆく汽車の
七十五セント ぶんの切符をください ね
どっかへ走って ゆく汽車の
七十五セントぶんの
切符をください ってんだ


どこへいくか なんて
知っちゃあいねえ
ただもう こっちから はなれてくんだ-


中学までの私は、いつか「そこ」から離れられる日が来ることだけを希望に生きていた。
「そこから出られたら、この現実から逃げ出せるはず。」
そう思っていたからこそ、耐えられない現実も耐えられた。けれど、
そう思ってしまったから、耐えられない現実を耐えてしまった。

耐え切って、「そこ」から離れて、汽車に乗って、
着いたところは同じところだった。
わたしは同じ現実にまた耐えなければならなかった。
いっそ壊してしまいたい。けれど壊せない。
なぜなら、それは私自身だったからだ。


冒頭の詩は、ラングストン・ヒューズの「七十五セントのブルース」。
ラングストンは、90年代初めのアフリカ系アメリカ人作家だ。白人作家が描くステレオタイプのアフリカ系アメリカ人のイメージばかりが世の中に広まっていた時代、黒人視点からブラックアメリカ文化や風俗を提示することにより、普遍的人間像を描いた。
おそらくこのブルースを歌っているのも、黒人だろう。
差別、迫害を受け、居場所がなくなったのだろうか。七十五セントだけで、汽車に乗ろうとしている。
反射的に、あるいは感情的になって切符を買い求めているのだろうか。
強がっているようにも、負けず嫌いなようにも聞こえる。
しかし、そのなんと潔いことか。

あの時の私に、七十五セントぶんの潔さがあればよかったのに。
そしたら、きっともっと早く、「そこ」はわたしの居る場所なのだと気付けたのに。
どこかに「そこ」があるんじゃない。わたしが居るところが「そこ」なのだと。

Friday, September 30, 2011

名台詞は、どこにでも転がっている

神経を言葉に集中させていると、日常生活の様々な場面で名言に出会える、とは前回のブログで少し話した。それは本当で、何も名言集など買わなくても意識さえ集中すれば、何気ない会話や映画のワンシーン、トイレの落書きにまで名言や名台詞は転がっているものなのだ。

先日、ダイエットのために通っているプールの更衣室で小学校低学年くらいの女の子二人がおしゃべりをしているのを、自分も着替えながら何気なく聞いていた。そしてその一人の子が放った一言に、私はドキッとした。
「死ぬって一番大切なことなんだよ。」
無垢な女の子の口からまさかこんな深い意味合いを含んだ台詞がが出てくるとは思わなかった。するとその子はすぐ、
「あっ、間違った。命だ。命が一番大切なんだ。」
と言い直した。ああ、やっぱりそうか、とほっとしながらもちょっと残念な気持ちにもなった。彼女達はゲームの「たまごっち」の話をしており、その中のキャラクターが「私は命よりもドライヤーが大事なのよ」と言ったらしい。女の子二人は、その言葉に対して
「命が一番大事なんだよ。ドライヤーの方が大事なんて、バカだよね~。」
と言っていたのだ。子どもに命よりドライヤーが大事などと言うキャラクターの存在に疑問を感じながらも、なんともほほえましい風景だと見ていた。そして、女の子の言葉、「死が一番大事」というのは、間違いとはいえ名台詞になるだろう。人間いつかは死ぬ。けれどそれは、一生懸命生きるための大事な要素なのだ。それなのに、その終わりを意識せずのうのうと生きている自分にその一言は突き刺さった。死を意識していないわけではないが、少なくともあの時、プールでのんびり着替えをしていた自分にはその意識はなかったのだ。たかが着替えで死を意識する必要はないのだが、あの女の子のおかげで確かにその後、自分は死を意識して生きなければと、自分の気を引き締めるきっかけになったのは事実だ。こんな幼い子達の会話からでも、名言は生まれるものなのだなぁ、と改めて言葉探しの範囲の広さ、醍醐味を知った。

寺山修司『ポケットに名言を』の第2章に出てくる名台詞でも、生と死に関して深い意味を持ったものがある。フェデリコ・フェリーニの映画、『甘い生活』の中でスタイナー(アラン・キュイ)が言った台詞だ。

「ときどき、夜中にこの静かさが私にのしかかってくる。平和ってなんて恐ろしいんだろう。」

この一言だけでは一体何の意味を持つのかわからないが、その後の寺山修司の解説で思わず考えさせられる言葉になる。

スタイナーは幸福なパパであり、いつもサロンに友人達を集めて雑談している。外はひどい嵐なのに、マンション・アパートの中のスタイナーの部屋だけは平穏で無事である。友人のイリスの「塔高すぎて地上の声とどかず・・・」という詩の朗読の後でスタイナーがテープレコーダーに吹き込んだ自然の声を流す。それは鳥の声と森の音である。メカニズムにとりかこまれて、何年もほんものの鳥の声を聞いたことのない都会人たちは、しんとなってその音に耳をすます。-略-翌日、スタイナーはピストル二発で子どもを殺し、その後で自殺する。その理由は誰にもわからない、と刑事は言うが、それが「平和」のせいだということが観客にはわかるのである。

スタイナーの名台詞は、スタイナー達が鳥の声に耳をすませている時に発せられたものだ。この台詞の後、彼は平和を捨て、死を選ぶ。この映画がいつの時代の設定なのかはわからないが、なんだか近い未来の私達のように見えないだろうか。戦争反対を叫び、急激な科学や技術の進歩を遂げ、やっと手に入れたはずの「平和」な世の中が、最も生の喜びを感じられない世の中だった。なんとも皮肉な結末だ。すべてが平穏無事な毎日の中で、唯一の出口は「死」だけ。もしこの「死」がなかったら、スタイナーに残された道は自身が壊れてしまうしかない。ここでも私は、やはり生を充実させるためには死が必要なのだという事に気付くのだ。

平和であることだけが良い人生を送る秘訣ではないと、この映画で認識できたが、ではどうすれば死を自ら選ぶことなく、自分の人生を充実させることができるのだろうか。これにも寺山修司はある台詞と一人の娼婦によって一つの道を提示してくれている。

「昔、パリ音楽院の学生だったの。一流のピアニストを目指して・・・ショパン・・・ドビッシー。初めてのリサイタルの夜、ピアノの蓋が手に落ちてきて、指が三本だめになって・・・夢が壊れたわ。あとは私と、この犬さえ食べていくのに、やっとでした。」

これは映画『あなただけ今晩は』の台詞だ。なんとも不幸な女性のエピソードか、と思った。すると・・・

この涙のセリフ。実は真っ赤な嘘なのである。シャリー・マクレーン演じるところの娼婦イルマは、こんな口からでまかせを言っては男から札束を巻き上げる。また、その舌の根もかわかぬうちに今度は-略-他の男から札束を巻き上げる。そのくせ、すぐに自分のついたウソをけろりと忘れてしまうというあざやかさである。「どうせ私をだますなら、死ぬまでだましてほしかった」と歌うわが国のヒロインの執念深さにくらべ、私はイルマのあっさりした性格がとても好きであった。-略-わが国では、売春婦というとすぐに「人身売買」のように暗いイメージを持つ向きがあるが、イルマには「月を眺めて目に涙」式の悲惨さが少しもない。

人生、楽しんだもの勝ち。どんな人生も、幸か不幸かは本人次第なのだ。娼婦という人生を潔く生きるイルマに、私もうらやましさを感じる。逆に女性に限らず、被害妄想が強く人生の幸、不幸は周りの状況に左右せられると考える日本人は多い。私も最近不満を口にすることが多い。もっと潔く人生を生きていないと、死が近づいた時に後悔するかもしれない。生き方について真剣に考えないといけないと、今日の名言を振り返って一人反省した秋の夜長だった。



Sunday, September 18, 2011

言葉を友人に持とう

寺山修司の『ポケットに名言を』という本を開くと、いきなり出会ってしまった。もうそこには、拾いきれないほどの名言が溢れていた。
「言葉を友人に持とう」
この本の第一章のタイトルである。私にとっては、このタイトルさえもすでに名言だ。このたった一言で、それまで自分が持っていた言葉の概念が崩れていくのがわかった。その章で寺山修司は、「言葉とは何か」について語っている。今まで考えたこともないようなテーマなのに、私はそれでも「確かにそうだ。」と共感してしまい、ついには「言葉ともっと親しくなりたい。」と思い始めてしまった。

-言葉を友人に持ちたいと思うことがある。 それは、旅路の途中でじぶんがたった一人だと言うことに気がついた時にである。 たしかに言葉の肩をたたくことはできないし、言葉と握手することもできない。だが、言葉に言いようのない、旧友のなつかしさがあるものである。-

寺山修司は「言葉の錬金術師」と言われるほど言葉巧みな詩人であり、作家であり、歌人であり映画監督でもあり実に多才な人物である。代表作は『書を捨てよ、町へ出よう』や『田園に死す』などだろうか。それら有名な作品を読んだことはないが、それでもこの『ポケットに名言を』を読むだけでも、言葉の錬金術師の術の素晴らしさはわかる。彼の言葉は単純でわかりやすく、頭の中でもやもやとしていたものがすっきり解消されるような効能があるみたいだ。はっきりとそう口にするわけでもないのに、はっきりと口にするよりも伝わる。少し懐かしい、けれど新しい彼の文章を読んでいると、まるで白黒映画を観ているような、それとも過去の偉人たちの哲学的な詩集を読んでいるかのような、昔懐かしい気持ちがじわじわとこみ上げてくる。

私がこの本をいつ買ったのかはよく覚えていない。少なくとも5年以上前で、私が大学に入学したての頃だと思う。買うきっかけも、寺山修司が好きだったとか、そういうのではなく、ただ表紙のかわいさと本の薄さに読みやすさを感じたからだった気がする。言葉に対して何の愛着も友情もなく、言葉は意志を伝える手段であり道具であるというイメージしか私は持っていなかった。だから、言葉に対して感情を持ち、友人になりたいという彼の発想は衝撃で、その感性をうらやましいと思った。そして、いつかは彼のように言葉で人の心にチクリと針を刺したり、なつかしい気持ちにさせたり、軽快な気分にさせてみたい。多くの偉人たちが残す名言というものを、私も人生で一言くらいは残しておきたい、そう思った。その第一歩がこのブログである。彼の言葉を借りて言えば、こうだ。

-私は言葉をジャックナイフのようにひらめかせて、人の胸の中をぐさりと一突きするくらいは朝めし前でなければならないな、と思った。だが、同時に言葉は薬でなければならない。さまざまの心の傷手を癒すための薬に。中略 どんな深い裏切りにあったあとでも、その一言によってなぐさむような言葉。-

彼のような文章力が欲しいと言いながら、さっそく彼の言葉を引用させてもらってしまっている私。まだまだ道は遠い。ましてや名言なんて残せるのだろうか。そもそも、名言とは何なのか。それを解説するのにも、またまた彼の言葉を引用させてもらおう。

-時には、言葉は思い出に過ぎない。だが、ときには言葉は世界全部の重さと釣合うこともあるだろう。そして、そんな言葉こそが「名言」ということになるのである。-

この『ポケットに名言を』という本は、寺山修司が集めた名言集である。彼は、名言というのはその古さ新しさは関係なく、年老いた言葉を大切にするのではなくむしろその逆だと述べている。新しい言葉には、現実を変革する可能性がはらまれているからだというのだ。私もこの本を読んでから、日常の中で名言や何やら不思議な魅力を持つ言葉を集めるようになった。神経を言葉に集中させていると、何気ない会話や本の一節から、自分の価値観を180度変えてしまうような名言に出会えたり、自分の今まで持っていた価値観をさらに磨く言葉と偶然出くわすことがあるのだ。そしてそれを書き溜め、気分が落ち込んだ時や悩んだ時にこうした言葉たちから何度も勇気をもらっている。このブログを書こうと思ったのも、そうして集めた名言を誰かが見て、少しでも自分と同じように明るい気持ちになってくれたり、新しい発見をしたりしてくれたらいいなと思ったからだ。

しかしこの第一章の最後で彼は、 本当に今必要なのは名言ではないと言う。それなのに彼は自身の古いノートを引っ張り出し、集めた名言を本にした。その理由を、彼は以下のように述べている。

-まさに、ブレヒトの「英雄論」をなぞれば「名言のない時代は不幸だが、名言を必要とする時代は、もっと不幸だ」からである。 そして、今こそそんな時代なのである。-

近年、スポーツ界や経済界などで栄光や成功を手にした人達の名言集、人生の教訓本などが売れているらしい。私を始め、現代の多くの人はそうした名言に勇気をもらい、生きている。果たして、私たちが名言など必要としなくなる時代はいつ来るのだろうか。