-どっかへ走って ゆく汽車の
七十五セント ぶんの切符をください ね
どっかへ走って ゆく汽車の
七十五セントぶんの
切符をください ってんだ
どこへいくか なんて
知っちゃあいねえ
ただもう こっちから はなれてくんだ-
中学までの私は、いつか「そこ」から離れられる日が来ることだけを希望に生きていた。
「そこから出られたら、この現実から逃げ出せるはず。」
そう思っていたからこそ、耐えられない現実も耐えられた。けれど、
そう思ってしまったから、耐えられない現実を耐えてしまった。
耐え切って、「そこ」から離れて、汽車に乗って、
着いたところは同じところだった。
わたしは同じ現実にまた耐えなければならなかった。
いっそ壊してしまいたい。けれど壊せない。
なぜなら、それは私自身だったからだ。
冒頭の詩は、ラングストン・ヒューズの「七十五セントのブルース」。
ラングストンは、90年代初めのアフリカ系アメリカ人作家だ。白人作家が描くステレオタイプのアフリカ系アメリカ人のイメージばかりが世の中に広まっていた時代、黒人視点からブラックアメリカ文化や風俗を提示することにより、普遍的人間像を描いた。
おそらくこのブルースを歌っているのも、黒人だろう。
差別、迫害を受け、居場所がなくなったのだろうか。七十五セントだけで、汽車に乗ろうとしている。
反射的に、あるいは感情的になって切符を買い求めているのだろうか。
強がっているようにも、負けず嫌いなようにも聞こえる。
しかし、そのなんと潔いことか。
あの時の私に、七十五セントぶんの潔さがあればよかったのに。
そしたら、きっともっと早く、「そこ」はわたしの居る場所なのだと気付けたのに。
どこかに「そこ」があるんじゃない。わたしが居るところが「そこ」なのだと。
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